ターニングポイント

職業柄、誰かと自然観察をしたり、
観察の仕方を伝えたりすることが
多いのですが
今年、あるきっかけでどうしようもなく
観察が嫌になった時期がありました。
「観なきゃいけない、伝えなきゃいけない」
という焦燥感にかられ、
自分がなんのために、
何をやっているのかが分からなくなりました。
そんなもやもやした心境で、
川辺の林の調査に行ったところ、
土手の上をとことことキツネが
歩いてきました。
なんだぁ?おまえ、その顔は。
疥癬かなにかで皮膚が腫れてるのかな?
ていうか、なんでこっち寄ってくんのよ。
人馴れしてるのか?
人ん家近いし、この辺に居ついてるならそうもなるか。
よく見たら子狐っぽいな。今年生まれか。
うわ、全然こっちに気づかずに歩いてくるよ
匂いを嗅いで…ネズミか何か探してるのかな?
あ、こっち見た。
じっとした。そうだよね、君らキツネは
すぐ逃げずにこっちをよく見るよね。
ちょっと写真失礼するね。
まだ見てるね、こっち。
あ、踵を返した。
草はらに入っていく。ちょっと怖がらせちゃったかな。
その時は、よくある「キツネを見た」
という出来事に過ぎなかったけど、
家に着くまでの車の中で思い返したら、
なんだ、自分はほっといても、
行き詰っても、生きものを観察せずには
いられない人間じゃないか、
ということに気がついた。
観察が嫌になったのは、肩に力を入れすぎていただけかもしれないなと思った。
自然観察は、料理をよく味わって食べることに似ている。
匂いは、彩りは、何が入っている、
風味は、味は、食感は、喉越しは、
後味は、腹持ちは。
自分が持つ感覚をよく使って、
目の前にあるものを感じ、調べる。
これは僕が一頭の生きものとして持っている
能力を、そのまま使っているに過ぎない。
だけど、これが楽しくてたまらないんだ。
これを誰かと共感したくてたまらないんだ。
「キツネは古今東西、人間を翻弄し続けてきた動物だ」と人は言うが、
それは受け手の問題だ。
少なくとも僕は、今回の件を通して
一頭のキツネに救われた。
…これも受け手の問題か。
まぁ、そういうことがあるのも
おもしろいじゃん。
あの日のキツネさん、あんがとね。
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