終戦記念日に思うこと。

Radikoから流れてくるFM802から、The boomの「からたち野道」が流れている。童謡のようなメロディと共に、郷愁と、祈りが伝わってくる。

 

音楽に先立ってニュースが流れ、これまで明らかにされてなかった大阪府内での空襲(機銃掃射)を証明する論文が、地元の方の手によって出版されたということを知った。僕のような戦後に生まれた世代には想像すら難しい、「戦争を後世に語り継ぎたい」という個人の強い思いが、出版によって成就されたんだろうと思う。

 

ここ1週間、「戦争の記憶を後世へ伝える」というフレーズを、NHKのニュースで聞かなかった日はないと思う。この言葉を聞く度に、先人たちの努力に胸を打たれた。しかしその一方で、はたして後世に対して、将来の戦争を止めるのに十分な思いや情報が伝わっているのかどうか、心配になる。

 

この心配は、先人たちの力量を疑問視するものではなくて、技術的な限界についてのものだ。正直に個人的な意見を言うと、戦争を経験しようのない、記憶しようのない戦後生まれの世代に「戦争の記憶を伝える」ことは無理だと思う。戦後生まれが受け取ることができるのは、戦争を経験された方々の感想や数的なデータ、僅かな映像などで、爆風の熱さや振動、血が焼けたり人が腐る匂い、集団パニックの恐ろしさ、大切な人々を失う辛さなどは、受け取りようがない。受け取りようがないがないから、聞き手が補完するしかない。

 

察するに、「戦争を後世に語り継ぎたい」気持ちの源流は、将来世代を心配する優しい気持ちと、恐怖心ではないだろうか。そして同じく将来の戦争を止めるものの一つは、戦争に対する恐怖心だと思う。しかし残念ながら、戦争を知らない私達は、その源流にある恐怖心を想像で補完するしかない。もちろん、語り継がれた戦争の話や記録そのものに抱く恐怖は確かにある。確かにあるが、当事者たちのそれには遥か遠く及ばないだろう。

 

今を生きる私達は、今の自分達の暮らしに必死だ。だからこそ私達のほとんどが、過去の惨禍について耳を傾け、当事者たちの恐怖を想像し、受け止める時間を十分にとっているとは考えにくい。この調子で、将来の戦争を止めることができるのだろうか。

 

ただただ、そのことが心配だ。

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です