ヒト「うわっ!キモい虫!!!」 虫「よっしゃあああ!!!」

先日、twitterで「虫を気持ち悪く思うことは、虫にとって得かもしれない」という投稿を見かけ、確かにそう考えることもできるなぁと思った。「ヒトにとって気持ち悪いもの=触りたくないもの」とみなせるのであれば、虫は気持ち悪がられることによって、ヒトに触られたり食べられたりするリスクから回避できていると言えるのかもしれない。

 

個人的には、野生生物のことをもっと一般の方たちに知ってほしいなぁと思いつつ、ヒトがヒト以外の生きものを「気持ち悪い」と思うことは自然なことだとも思っている。彼らの形や匂い、挙動は明らかにヒトとは異なる。この事実に基づいて「野生生物は自分に害をなしうるかもしれない」と認識することは、不思議ではないと思う。

(同じヒトでも自分に害をなしうるものはたくさんいるんだけど、なぜかその認識は比較的弱い気がする。気のせいかな?)

 

逆に、野生生物がもつ「人間に似ているところ」に注目すると、親近感を覚えることもできる。動物番組で親子愛が頻繁に取り上げられたり、擬人化がなされるのはそのためだろうし、僕も生きものを紹介するときは、挙動や習性のうち、ヒトに似た部分を取り挙げるようにしている。

 

「みんなに生きもののことを好きになってほしい」と一般の方たちに想いを伝える専門家の方は多くおられる。僕もそう在りたいと思うけれど、実はそれは難しいのではないかとも思っている。もちろん、生きものを好きになる余地がある方には、どんどん生きものの魅力を紹介したいと思う。ただ、異質を恐れるヒトの習性に即して言えば、多くの人に「生きものを好きになってもらう」のではなく、「気持ち悪いものを排除しないでもらう」ことを伝えなければいけないかもしれない。

(言葉選びが難しい。「もらう」っていうニュアンスはベストではないと思うけど、いまは他の言葉が浮かばない。)

 

ただ、そうなると動機づけが難しい。「好きであること」は「大事にする」ことの動機になるけど、「気持ち悪いこと」は「手を出さない」ことの動機にならない場合がよくある。そりゃ、いくら気持ち悪いからといってヒグマに手を出すヒトは少ないだろうけど、庭のイモムシを踏み潰すヒトはゴマンといるだろう。

 

自分にとって害をなしうるものに対して余裕ある対応をとるには、それなりの知識と、慣れるための時間が要る。どうやったらそれを社会に実装することができるだろうか。

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