日記帳_2019-01-14(プチ反省文)

こんにちは、Isakumaです。日曜日は日記をお休みして、今日は再開です。

 

先日の日記で「人様に対してお話できる、自然の話題のバリエーションが増えたなぁ、嬉しいなぁ。」という趣旨の記事を書きました。その後、あの記事がいま、すこし胸に刺さるような感覚を味わっています。あの記事を書いたからこそ、自分の未熟さが浮き彫りになったな、という感覚です。

 

今後も修業を続ける自分にとって、未熟さを自覚することは今後の糧になるので喜ばしいことですが、その一方で情けないというか、面目ないことでもあります。先日の記事では「(ラジオに出演することを仮定して、)10分間話せる話題をピックアップしたら100個くらいあったわ」という内容を書いたのですが、いま改めて見返すと、あの中にお金をもらって話をするのに足るクオリティのものはどれくらいあるだろうか・・・と心配になります。

 

自然分野に限らず、専門性の高い方々は、その専門性を活かすお仕事をされている方が多いと思います。自分も含めて、このカテゴリの人間の多くは、自分が世に出すもののクオリティに対してどうしても敏感になる傾向が強いと思います。自分の不完全さを自覚すればするほど、自分の仕事に責任を感じれば感じるほど、適当なものを世に出せない、出すべきではない、出したくないと。

 

僕はどちらかというと鈍感で脳天気な方なので、根拠が弱いことを言わない、誰かを不快にさせるようなことを言わないことに極力注意をしたものでさえあれば、不完全さを自覚していても仕事を世に出す人間です。なぜなら、自分ひとりで自分の仕事を完璧にできるはずがないからです。僕の仕事を受け取ってくださる方の意見を取り入れない限り、自分の仕事が受け取り手にとって良い形になることは難しいから、不完全であっても一度は外にだすべきだと思っているのです。

 

しかし先の記事でピックアップしたもののうち、一度でも誰かに聞いてもらい、意見をもらったものはおそらく半分ほどしかありません。なのに、あの100項目を(いくら仮定とはいえ)仕事として話せるものだ、と言い切るのはすこし能天気が過ぎやしないかと、今になって感じている次第です。あれらは原石ではあるかもしれないけど、店先に並べるには磨きが足りなさすぎるのではないかと。

 

専門性を職業に活かしたいと思っているからこそ、今ここで一度自分に言い聞かせる必要があると反省しています。世に出せるもの、出せないものの基準を今一度整理しろ、世に出せないものは落ち着いて磨く機会を設けて、それから外に出すべきだと。

 

落ち着いてやれば、きっと良いものができるんだから。

 

 

おわり

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